どの宗教を選べばよいか

信じることが力なのならば、宗教はそれに一役買ってくれる。
まあしかし、他人の力は何も信じない、信じられるものは己の力唯其れのみ!
とかいうのも面白いんじゃないかと思う少年漫画的に。自分に失望したとき鬱になるけど。


先のH.S.クシュナー氏はすばらしい人であると思うようにはなったが、ではユダヤ教に入るべきか?というのは別問題のように思える。すばらしいのは悲惨な経験をしながら一つの解釈を生み出したクシュナー氏であって、ユダヤ教ではない気がするのだ。


神が居ないのならば、自分と周囲を励ますことが出来さえすれば、そして金目的の詐欺宗教団体でなければどこでも良い、ということになる。
しかし神が居てその神が間違った宗教はみな死ね、とか思っていたりすると、宗教の選択は超重要である。その選択一つでなんか色々変わっちゃうんだろうその後の人生とか死後とか知らんけど。
しかし歴史を観てみれば、「正解の」宗教に入った人ためにその後の人生幸せになった!という傾向は見つけられないだろう。物理的にも、恐らく精神的にも。宗教戦争という不幸を差し引いたとしても。宗教に入ると、幸せも不幸も強調されてしまうから。「信じたから幸せになった」と思う人は、災難が降りかかったときに「信じたのに不幸が起こった」と考えるだろうから。


ん−。クシュナー氏は「私の信じたい(信じる)神はそのようではない」というような表現を多用しているし、やはり宗教は「精神安定メソッド」のような意味合いを持っているのかな、と思う。
もし「信じたいものを信じればいい、しかし傾倒しすぎはよくない」というポリシーを持ったとすると、結局信じ切ることは出来ず、十分に力が出ない。それでは宗教に入る意味があまりないのではないか。コミュニティに参加すると言う意義はもちろんあるが。

まあどちらにせよ、選択の自由があることは確からしいのだから、何を信じたところで決断の放棄はできないのだ。それだけは注意しないといけない。




読むきっかけとなったエントリ。