言語好きとして読まねばなるまい

まあそれはともかく、ふと思った。
俺からみて親の世代がタイピングを苦手とするように、俺の子供の世代では英語が普通に出来て「何で出来ないの?馬鹿なの?」とか思われるようになるんだろうか。嫌すぎる。いやもちろん俺は親のことそうは思ってないけど。あと俺が英語が出来ないのは世代のせいでもないんだけど。
教授が左右の人差し指でタイピングするのを見て、不思議な感じがするのは確か。次の世代には同世代より英語が得意な人が増えるのも恐らくそう。

親から見ると俺の知識は恐らく膨大で詳細で、それはただ教育と環境が異なるからというだけなのだけど、俺も30年後くらいには同様のことを感じたりするのだろうか。まあいれば。


世界はこのまま加速していくのだろうか。ただの経験則だからムーアの法則と同様、どこかで頭打ちになるだろうけど、その後を見てみたいというのは確かにある。参加しなくていいから見てみたいものだ。
鬱が標準の世界で力を持つのは誰なのか。

一巡した世界を見てみる

知識に価値はなく、論理からも価値は生まれなくなり、ひらめきと発見的手法のみが価値を生み出す。
まあそれでも人間は学ばないから力は堕落の始まりで、戦争は止むことがなく、
人間は学べないから会話は喜びで、恋愛は潤いで。
馬鹿と強欲は世界を変え、天才と真摯は悲劇の死を遂げ、俺は涙が止まらない。


やれやれ。