徒然に

良い場所を見つけた。
普段居る部屋のすぐ近くにある、リフレッシュルームだ。
コピー機が2台、テーブルが2組、ちょっとした会議でも開けそうな数の椅子に、ホワイトボード。使われることのない簡易洗面所。さらには窓際にソファのようなものが置いてある。
此処は秘書さんがお昼に集い御飯を食べる場であり、学生がプロジェクタを持ってきて発表準備をしたり、たまに特殊な講義にも使われたりする場所でもある。人が居る確率は高い。だが、真夜中になれば当然のことながら人はいない。部屋に入ると、センサによって自動で明かりが点くしくみになっている。それが嫌なのでわざと消し、窓際にあるソファもどきに腰掛ける。きっとソファだろう。寝れるし。


5、6年前を思い出す。当時は暗闇に潜み、時の流れるまま無為に過ごしたり、ひたすら物思いに耽ることが好きだった。階段の2段目に座り、暗闇の中ほう、っとしていたことが多かったのは、階段を上るため明かりをつける時、家族が驚く様が面白かったこともあるが、元はと言えば単純にそこが落ち着くからだった。今考えると、階段の2番目に座ってぼうっと歯磨きをしていたのは確かに不気味だったかもしれない。懐かしい。


暗闇はいい。プライベート空間というような言葉があった気がするが(身体空間だったか?)、暗闇の中でひとり佇んで居ると、それは大きく拡張する。そしてその空間に踏み込まれると、人はしばしば驚愕とともに拒絶反応を起こす。その驚愕ぶりは、暗闇の中で電気を点けたら目の前に人が座っていた、というシチュエーションに匹敵するんじゃないかと思う。一人きりになる夜の部室で気持ち良く弾いていた時に、思いがけず真横に人が現れる、というのもそれに似てるかもしれない。まあ横に来るまで気づかなかっただけなんだけど。仕様がないから自分の空間を狭める。気の置けない仲なら別ではあるが。
人はそれぞれ雰囲気を纏っていて、人と触れ合うときその雰囲気は混ざり、その空間は豊かになるんだ、という旨の父の言葉は、他人という存在から親しい仲というものを切り出した。そうして自分と他人以外のヒトが現れた。


暗い部屋に、壁を背にして座る。部屋を一望出来る、というのは重要だ。部屋の真ん中にいては背中が落ち着かない。
夕方ごろから部屋で電気を消し、少しずつ暗くなっていく様を見るのが好きだった。
夏であれば窓を開けて、たまに吹く夜の風がまた心地いい。


これはいい。思考が幾らループしても、苦にならない。さらに、感動は幾らでもリフレインする。
リラックスできる空間とはこうでなくてはな。思考に必要なものはこのような場所だろう。
あと、心地よく悩める材料。時間制限があっては楽しめないからな。
それらがあれば、後は自分が考えてくれる。


良い場所を見つけた。