納得と理解

【わかった】(口語)
  意味:理解した、分かった、解った、判った、納得した。
「わかった」という言葉は、意味が曖昧すぎる。重要な言葉のくせに、多くの意味がオーバーロードされている。
もう少し細かく分けてもよいと思うのだが。同音異義語じゃなく。
納得したときでも「わかった」と言ったりする。これは不便だ。
教える相手の反応が全て「わかった」で返ってくるこの苛立ち。わかる人は居るだろうか。
「わかっている」になると少し違う。
【わかっている】(口語)
  意味:理解している、分かっている、解っている、判っている、納得している、知っている。
や、まあそれぞれの意味は適当だけど。「分る」と「解る」との違いなんて正直わからない。

「わからない」ってなんだろう。わからない。
プレゼンのとき、教授が「わかんない」という。俺にはその「わかんない」がわからない。
カテキョのとき、生徒が「わかんない」という。俺には以下略。
日本語は不便だ。


理論とは、定義によって始まり、論理によって展開する。
常識とは、感覚によって始まり、類推によって展開する。知覚できる現象を集めた集合。

理解とは、問題が論理によって定義まで結び付けられたときに起こる主観的現象であるとする。
納得とは、問題が常識に結び付けられたときに起こる主観的現象であるとする。

理解しても納得せず、納得しても理解しないことが多いのは、両方とも原点が異なっているからだ。

また、そのどちらにも属しない「わかる」がある。
たとえば、数学において、整数の定義や足し算や掛け算の定義まで正確に知っている人は稀である。
しかしそんなことを知らなくても、それらはもはや「常識」となっていて、そこまで問題を分割できれば良しとしている。
ある問題、現象が論理によって常識まで結びつけられた「わかる」だ。
これをむしろ「解る」の定義にしとこう。
「分る」は略。

さてここでプレゼンテーションの目的を考える。
プレゼンの目的とは、「参加者が共有している常識」までに、論理をもって主題を落とし込むことである。
そうであるとすれば、その「常識」を認識することが第一だ。
老若男女を対象としたプレゼンであれば、「一般常識」。
学会であるならば、「その学会員ならば当たり前に持っている知識」。そのまんまだな。

その「常識」までの道筋を、不足なく解り易く伝えることができれば勝ちだ。
つまり、プレゼンの一般参加者に「解らせれば」良い。

「わからない」と言われるのは。相手の持つ「常識」を見誤っているか、その「常識」まで問題が繋がっていないか。
もしくは説明が下手であるかのいずれかだろう。


よし。腹減った。