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帯にはこう書いてあった。

西尾維新、戦慄!
「馬鹿な・・・変態しかいない・・・!」

なんだそら。見回すと回りにも見慣れない物が多数入荷されている。恐らくちょっとおかしい店員が変な本を大量入荷したんだろう。
軽い気持ちで買った。
帰った。
戦慄!とは書いてあるけど絶賛!とは書いてないよなあ、とか思いながら読み始めた。
読み終わった。
破いて捨てた。
恐らく買ってから1時間以内に捨てた本(マンガ)は、これが最初で最後だ。


読んで1つ分かった。
普通のマンガにおける変態行為とは、「ボケ」であると。故に、「ツッコミ」があって初めて完結する。それは一つのお約束であり、ストーリーに刺激と潤いを与える栄養剤のような物だ。もちろん今はそれが多用過ぎたせいで、ボケにも鳴らないシーンも多々あるのだが。話がそれた。要するに、変態と対になる正常な人間がいなければマンガは成り立たないのだ。正常な感覚とは、変態行為を変態と認識し、変態だあああ!という反応を見せることだ。そのようなキャラがいないとどうなるか。いや、居るには居るのだが、諦めている、といったところだろうか。まあとにかく、変態行為は「ボケ」ではなく、ごく普通に描かれてしまう。シーンは主に日常生活であるので、変態行為は引用が多いのだが、変態なのでそれを隠そうとはしない。周りが総変態という凄まじい環境。もちろん、ツッコミの閾値は上がり、少々の変態には突っ込まなくなる。唯一まともな側に近いと言えるであろう主人公の女の子でさえ、変態が言う一見格好良い形而上学的な言葉に諭されているくらいだからもう駄目だ。大体変態を好きになることって無くね?とか言うと怒る人もいるかもしれないが、私的に他人の行為は主観的な偏見を持って相手の容姿に反映されると思っているから結局醜く見えるんだよな。まあもちろんどこまで許せるかは個人差とか相手にも依るんだろう。まあしかし。


唯一、タミヤの水中モータが唐突に出てきたところのみ面白かった。今は赤と白じゃないんだな。

タミヤ ミニ水中モーター 単4形タイプ 70178

タミヤ ミニ水中モーター 単4形タイプ 70178