慣れと未来のどちらを取ろうか。


Ctrlは左下。それで16年間慣れているから、Aの左にCtrlを置くのはいやだ。
そんなことを言ったプログラマ23歳がいる。
そこで、対立していた俺(vim使用者)と友人(emacs使用者)はターゲットを変えた。


ちょっとまって、ここにキーボードがあるとするじゃん。そこでctrlを押さなければならなくなる時が頻繁にあるわけなんだけど、もしAの隣にあればこう(左手小指を少し広げる)動かすだけでいいんだ。すっごい自然じゃん。それなのに何?左下のCtrlを押すにはこう!(左手小指をぐにゃりとまげて見せる)曲げないといけないわけだよ。どう考えても不自然だろこのこう!(ぐにゃら)いう動きは。何を考えてこんな(ぐにょん)動きをしなければいけないんだよ。Mすぎるだろこれ(ぐにー)はいくらなんでも。

おいおいおい。これまでの16年間慣れてきた。それはいいや。だがプログラマになるんだろう?これから30年以上働くわけだ。これまでの16年間とこれからの30年間どっちを取るよ。30年をとるだろどう考えても。お前はこれからどんだけソースを書くんだよ。その左手を捩る少しのロスがこれからの30年でどんだけ積み重なるんだよ。今変えるべきだって本当に。異常過ぎるだろこの動きは。


とまあそこまでは言ってないが、そんなようなことを言って二人して延々と2時間くらい何故か午前4時に説得を試みたのだが、それでも変えないらしい。そこに固執して何のメリットがあるんだろう。
ITという栄枯盛衰が激しい中にこれから身を投げようとしているのに、自分を変えられないとかどうなんだ。
その言い分を通すには、世界を自分に合わせて変える程度の能力を持っていなきゃいけないのだが。
これからも生産性を高めるためにいくらでも自分を変えられるようにするべきだろう。これからも新しい言語に対応できるように自身を柔軟に保っていかなければならないわけだ。世界を変えられるようになるまではな。


ということでみんなVim使おうぜ!