http://anond.hatelabo.jp/20100225163000

個人的には小学校なんて計算が出来れば良いわけだから、小学校の先生には
「意味は今はわからなくても良い、解けるようにはなってくれ、この先この計算方法の理由や意味は君らの人生の中で少しずつ理解して行くだろう」
などと言ってもらうか、もしくは
「何故この様に計算すればいいか、ってのはお前らにはまだ解らないだろう、取り合えず出来るようにはなっておけ、20年後あたりにたまたまこの計算の意味を知って感動するのもまた面白いじゃねーか」
と豪快に笑い飛ばして欲しいものだが。
けどまあ小学生だしな。疑問に思ってしまった未理解のものを受け入れる準備も余裕もないのだろう。



先生は「理解の助けのために」計算に理由付けなどするわけだけど、それを児童としては「理由を知らなければいけない」かのように取ってしまうのがいけないのでは。理由ももちろん理解した方がいいだろうけど、それは出来るようになってからだと思う。
小学生の理解力は忘れてしまったから、方法だけ教えて出来るようになるのかどうかわからないけど。
解らない子には計算方法だけとりあえず教えるというのもアリなのでは。
先生の能力が足りない場合も。


方法と意味は分離して教えてみてはという提案。
もしくは、まだ理解できなくてもいいんだよと生徒に提言する提案。
どちらも前置きは必須。説明無く進んでしまっては生徒に不満が溜まるだけ。
「とりあえず理解より出来ることを目指そう」と言っておけば大分違うはず。


関係ないけどあのへんの小学生の大人に対する不信感は「自分で言ったことを守らない」「どうせ子供だからと言って説明を十分にしない」「過失を認めない」といった大人の見栄が原因なのが大抵だと思う。大人に対して全能者のイメージを持ってる子なら尚更。
子供は賢いから相応の説明すれば大体理解してくれると思うんだが。